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石巻へ

日曜のレッスン後、FDC石巻校の皆さんに乗せていただいて、震災後初めて石巻に行ってきました。
石巻はFDCにとってもご縁のあるところで、石巻文化センターで何度か舞台を行ったことがあります。

石巻文化センターは奥の三角屋根の建物です。
その手前はずっと民家があったはずでした。

石巻文化センター


もう瓦礫の撤去が進んだこの場所は、本当に遠くまで何もない更地が続いていました。
よく見ると細かくなったコンクリートや石の間に衣類などが混じっています。
確かに誰かのものであった生活の一部。

石巻の被災地で驚いたのは津波に呑まれた場所が広範囲なこと。
海から安全な高台まで何キロあるのだろうか。
海は石巻文化センターの向こう側、この写真を撮った場所の後ろもまた更地でした。

石巻
▲当時の様子を聞きながら…




▲この近辺ではボランティアが作業中でした。植物を植えるようです。



続いて女川へ。
途中万石浦は海が近いのですが、海沿いの線路も家もしっかり残っています。
万石浦があまり海とつながっていないせいでしょうか?
そうして少し狭くなった山の間を抜けると女川。
女川には初めて来ました。山すそにポツポツと家が見えてきます。

女川町立病院の駐車場へ。
この病院は15、6Mは高台にあるでしょうか。上り坂の途中ガードレールが津波で歪んでいます。


▲女川町立病院駐車場から


駐車場まで登りきって教えられましたが、この高台の病院ですら1階は水につかったそうです。
港で屋上まで冠水しなかったのは写真の茶色の建物「マリンパル女川」だけ。
あまりに少ない建物に、女川の外れだと思っていたのですが、
この地域は震災前、女川の中心部でした。
山すそに残る家のところまで、本当は家やビルがあったのです。
「この辺が駅で」と説明を受けても、その痕跡すら分かりませんでした。


▲基礎から抜けて横倒しになったビル


石巻校の生徒さんもこの女川の中心部に住んでいました。
自宅跡を見せてもらいました。


▲画面の左端の山の上に小さく白いガードレールが見えますが、
あの辺まで津波が押し寄せたそうです。
この崖の木の上にも衣類が引っかかっていました。



▲地面に残るエントランスのタイル



女川に押し寄せた津波は高いところで20M。
実際に行ってその高さを目の当たりにすると、どれだけ逃げるのが困難であったか、
その焦りや恐怖が感じられてつらくなります。

「逃げようとしなかった人なんていなかったんだと思う、ただ逃げられなかったんだ」

TVで語られるように生死の色々な分岐点はあるのでしょうけど、
きっとこれが本当なんだと思います。

北海道奥尻島、インドネシアの津波。知っていたけど、やはり知らなかった。
今回の石巻の津波、行って初めてどんなに広く高い波が来たか知りました。
想像以上に逃げるのが困難なことなんだと実感しました。
これはいろんな方法で知らせなければならない、知らなくてはならないことだと思います。

今はもうない家の跡で、お互い再会したときの話をしていました。
真面目な話の中にも、必死さゆえに思わず笑ってしまうエピソードもあり。

今回の震災では沿岸部と内陸部では被害に大きな差がありました。
他の地方の方が東北を思ってどう寄り添えばよいか心を痛めたように
内陸部は沿岸部の人々に寄り添えているのか、いつも気にしながらそれぞれの震災を過ごしました。
「絆」という言葉が語られた分、自分が何かできているのか考えることの多かった震災。

FDC仙台校が開校するまでの1ヶ月、生徒さんのことを悶々と心配するしかなかったヒゲーニョ先生。
そんな悶々を見ながら、会社を復旧させながら、やっぱり悶々していた私。
なによりこんな状況で立ち上がりながら、ダンスを思い続けた石巻校の生徒さん。

やっとあの時の時間がつながったような気がしました。

あの日からようやく1年が経とうとしています。




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